千家十職(せんけじっしょく)とは、茶道の三千家(表千家・裏千家・武者小路千家)に仕え、茶道具を専門に作り続けてきた十の職人家系の総称です。
茶碗や釜、棗(なつめ)、茶杓など、茶の湯に欠かせない道具を分担して制作し、代々その技を継承してきました。
それぞれの職家が、代々伝わる家伝の技と精神を受け継ぎ、千家が使用する茶道具を分担して作っています。
千家十職の起源
千利休や千宗旦の茶風を受け継ぎ、茶道具を制作する職人が徐々に固定化。
江戸時代には八家から十二家に変動しましたが、明治期に現在の十職に整理さ、
大正期に三越百貨店が「十職展」を開催したことで「千家十職」という呼称が定着したとも言われます。
役割
千家の家元の好みに合わせた茶道具を制作し、茶会や年忌法要などで重要な役割を担い、単なる職人ではなく、茶道文化を支える御用達の家系です。

千家十職の構成
茶碗師:樂吉左衛門(らくきちざえもん)
釜師:大西清右衛門(おおにしせいえもん)
塗師:中村宗哲(なかむらそうてつ)
指物師:駒澤利斎(こまざわりさい)
金物師:中川浄益(なかがわ じょうえき)
袋師:土田友湖(つちだゆうこ)
表具師:奥村吉兵衛(おくむらきちべえ)
一閑張細工師:飛来一閑(ひきいっかん)
竹細工・柄杓師:黒田正玄(くろだ しょうげん)
土風炉・焼物師:永樂善五郎(えいらくぜんごろう)
千家十職は単なる「職人」ではなく、茶の湯の美意識を体現する存在で、
各家系が数百年にわたり技を継承し、三千家の茶道文化を支え続けています。
茶室で使われる一つひとつの道具には、こうした職人家系の歴史と精神が込められている、
茶道に興味があるなら、次は「樂焼茶碗」や「大西釜」など、具体的な作品を見てみると千家十職の魅力がより深く理解できます。
昨日のお稽古、主菓子
「山茶花」花月庵製#茶道 #茶道教室 #裏千家 pic.twitter.com/6QmkSnoYaF— 裏千家小嶋茶道教室〜小嶋宗久のよもやまばなし〜 (@kukupuuy) November 16, 2025
茶道の流派でトップは!
茶道で「トップ」とされるのは、裏千家です。これは、最も茶道人口が多く、流派の規模が大きいことに起因します。
また、伝統を守りつつも時代の風潮を取り入れる「開かれた流派」として知られ、国際的にも影響力を持つ流派とされています。
裏千家がトップとされる理由
最も会員数が多い:茶道人口の約半数が裏千家の門下生と言われています。
「開かれた流派」:伝統を守りつつ、現代的な茶道の在り方を模索してきたため、多くの人に受け入れられています。
国際的な知名度:公の場に現れる機会が多く、世界的な知名度も高いです。
他の代表的な流派
表千家:「質実剛健」を重んじ、古くからの作法を忠実に守る伝統的な流派です。
武者小路千家:無駄のない合理的な所作が特徴とされています。
三千家:表千家、裏千家、武者小路千家は、すべて千利休の流れを汲む代表的な流派です。
流派の選択について
どの流派が「一番」ということはなく、それぞれの流派に特徴があります。
始める際には、流派の特徴を理解し、自分のイメージに合った流派を選ぶことが大切です。
昨日は裏千家東京茶道会館でこお茶会に行って来ました。写真はその前にある今日庵です。前家元の鵬雲斎宗匠(8/14に102歳で逝去)のお道具がたくさん使われていました。着物は上井草にあった呉服屋、あま乃の閉店セールで買ったものです。思い出の品となりました。 pic.twitter.com/vokkM0FXKH
— 甘美 (@1xGxkHaP7h65328) November 16, 2025
裏千家 今日庵 裏千家センター
住所:京都府京都市上京区本法寺前町613番地
電話番号: 075-431-3111
HP:https://www.urasenke.or.jp/
アクセス
JR「京都」駅 下車/市バス9/「堀川寺ノ内」下車
今日庵東京道場・茶道裏千家茶道会館
住所:東京都新宿区市谷加賀町 2-5-23
電話番号: 03-5261-3111
HP:

アクセス
都営地下鉄 大江戸線「牛込柳町」駅 下車/徒歩5分
都営バス 橋63系統「山伏町」下車/徒歩3分
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HP:

裏千家 今日庵 の歴史!
裏千家の「今日庵(こんにちあん)」は、千利休の孫・千宗旦が隠居所として建てた茶室に由来し、裏千家の象徴となった茶室兼庵号です。
宗旦の四男・仙叟宗室が継承して裏千家が成立し、以後歴代家元が茶道の精神を継承してきました。
・1646年(正保3年) 千利休の孫・千宗旦が三男・江岑宗左に家督を譲り、母屋(不審庵)を表千家とし、
宗旦自身はその北側に隠居屋敷を建て、茶室を「今日庵」と名付けました。
名前の由来は大徳寺の清巌宗渭和尚が宗旦に与えた語「懈怠比丘不期明日」(怠け者の僧は明日を期すべからず)から。
「今日の出会いを尊ぶ」という精神を込めて「今日庵」と号しました。
裏千家の成立は 宗旦の四男・仙叟宗室が今日庵を継ぎ、独立して「裏千家」と呼ばれるようになり、
表千家(江岑宗左)・武者小路千家(宗守)と並び「三千家」が確立しました。
歴代の工夫と発展
・江戸末期(11代玄々斎) 西洋からの来客をもてなすため、椅子とテーブルを用いた「立礼(りゅうれい)」を考案。
・明治後期(13代圓能斎) 衛生観念の高まりを受け、濃茶を一人ずつ点てる「各服点」を考案。
・近代以降 女学校に茶道を導入し「学校茶道」を広めるなど、教育・国際交流にも積極的に取り組みました。

