現代では、季節の移り変わりは、カレンダー≪いわゆる七曜表(しちようひょう)≫を見ればよいでしょう。
そこには12の月と、日付・曜日などが表形式で表示されているから、季節の変わり目は、目に見えて分かりやすくなっています。
でも、それらがなかった時代には、気候の変化によっておとずれる、季節特有の変化、其の強弱、空気感などが異なってくるのを敏感にとらえて季節の変化を確認していたようです。
古代中国では、一年を24等分し、
最も昼の長い日を「夏至(げし)」、
最も昼の短い日を「冬至(とうじ)」、
昼と夜の長さが同じ日を「春分(しゅんぶん)」・「秋分(しゅうぶん)」
とし、それぞれを春夏秋冬(しゅんかしゅうとう)の中心に据えることで、季節を決めた、二十四節気(にじゅうしせっき)という『暦』をつくりました。
もう一方で、季節的に訪れるものを頼りに、季節の変化を「十七文字(じゅうしちもじ)」と言う、定型詩の中に織り込んだものが、『俳句』です。
ですから、『俳句』では、かならず「季語を入れる」という大事な約束事があります。
季語とは、春、夏、秋、冬、新年の五つの季節を象徴的に表す言葉です。
そして「季語一覧」という書物には、季節の分類は、二十四節気(にじゅうしせっき)に基づく“節切り”とする、とされています。
更には、季語は時候や天文、人の暮らしや行事、食物などなど9項目にすると定められています。
そして、江戸時代以降の日本では、俳諧・俳句の季語を集めて分類し、季語ごとに、解説と例句を加えた、書物『歳時記』として集大成され、現在に至っています。
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こちらは季節の季語を毎回使っており、こんな季語があったのか?
今回はその
この季語の一つに『青嵐』と呼ばれているものがあります。 これが何なのかについて、紐解いてゆきましょう。
青嵐の意味は?
「青嵐」という言葉には、二つの読み方がありますが、読み方で意味が変わるというものではありません。
訓読み(つまり、あおあらし)にすると、「初夏の青葉を吹きわたるやや強い南風」という捉え方になります。
もう少し細かく言うと(1)青葉のころに吹く強い風、(2)青々とした山の気、という意味があります。 もちろん俳句では『夏の季語』です。
服部嵐雪 「青嵐定まる時や苗の色」
などが有名な「句」だそうです。
青嵐の由来は?
かって、海上交通の帆船が上りの順風として利用していたのが、青嵐で5月~7月の青葉のころに吹く南風から来ていると言います。
“風薫る5月”といったように、今日では決まり文句化しているが、この「風薫る」は、もとは漢字の「薫風」で、訓読みして和語化したものです。
和歌にも詠われており、花の香りを運んでくる春の風をさすことが多かったようですが、それが俳諧になると、
青葉若葉を吹きわたるっ爽やかな初夏の風の意味になり、はっきりした季節感をもって用いられるようになります。
またこの「薫風」は明らかに夏の季語として使われています。
そして、この風が「薫る」程度の風速から、もうすこし強くなると「青嵐」になります。
セイランと発音すると「晴嵐」と混同してしまうので、俳句ではアオアラシと訓読することが多いようです。
俳句季語(せいらん)論争?
「青嵐」を“あおあらし”と読むか“せいらん”と読むかという論争はあったようです。
昭和8年の『俳諧歳時記』では、実作注意とし『「必ず「あおあらし」と詠(よ)むべし、「せいらん」など、音読すべからず」と固く禁じています。
ところが、昭和34年の『俳句歳時記』には、例句として、一句のみ、「せいらん」と読むに違いない句が取り上げられています。
昭和23年、高浜虚子が詠んだ句で、論争の詳細には触れていませんが、きっとどう読むかの議論があったと言われています。
まとめ
初夏の季節を感じさせる言葉として「青嵐」を取り上げましたが、俳句季語「青嵐」論争にもあるように、佳人の語感に関する感性のすばらしさは、たしかに凡人の粋を超えるものと感心しています。
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