お正月といえば“おせち料理”ですね!
おせち料理は昔ながらの風習やしきたり、あるいは地域や家庭によってもさまざまです。
めでたいことを重ねるという意味で“重箱”に詰められるのが習わしです。
更に縁起をかつぐのは重箱だけでなく、各々の食材や料理にもさまざまな願いが込められています。
そのなかでも華やかな料理が“伊達巻”です。
ところで、なぜ伊達巻というのでしょうか? さらには、伊達巻は“長崎”とも深いゆかりがあるといわれています。
興味がわいてきませんか? この伊達巻について色々知りたいという方は参考にしてみてください。
伊達巻の日とは?
伊達巻とは、溶き卵に白身魚のすり身と出汁をいれてよく混ぜて焼き上げたのち、巻き簾(まきす)で巻いて形を整えたものを言います。
伊達政宗はこの伊達巻が大好きだったと伝えられえいます。
「伊達巻の日」は、伊達巻の名前の由来とされる戦国武将「伊達政宗(1567~1636年)の命日「5月24日」にちなんで『伊達巻の日』とされました。
華やかで洒落た(しゃれた)滋養豊な卵料理である伊達巻を、日本の食文化として広く後世に伝えたいということで、
玉子焼きや厚焼きなどの具材を製造販売する、株式会社せんにちが制定し、社団法人:日本記念日協会により、認定・登録されました。
伊達巻の歴史は?
そもそも伊達巻は、なぜその名前が付けられたのでしょうか?
名前の由来には、大きく3つの説があります。
ひとつめは、お洒落(おしゃれ)を意味する「伊達」から来ていいるという説。
伊達巻は華やかな黄色であり、形も華やかなことから、「派手な巻き卵」という意味で、「伊達巻」という名がついたと言うもの。
ふたつめは着物の帯「伊達巻」に似ているという説。
着物には帯を締める幅の狭い帯で、伊達巻という帯があります。
この伊達巻に形が似ていることから、「伊達巻」という名前がついたという説。
みっつめは、戦国大名「伊達政宗」の好物だったという説。
この時代にはヒラメの身に卵を混ぜて焼き、これを簾(すだれ)を使って巻いた「平玉子焼き」という料理があります。
伊達政宗はこれを好んで食べていたということから、平玉子焼きはいつのまにか「伊達巻」と呼ばれるようになったという説です。
長崎県カステラ蒲鉾の違いは?
「伊達巻」発祥の地は長崎だともいわれているそうです。
これは、江戸時代に長崎に伝来した「カステラ蒲鉾(かまぼこ)」という料理が伊達巻のルーツであるとされることによります。
この長崎説はあえていえば、よっつめの説とも言えます。
伊達巻もカステラ蒲鉾も基本的な製法は共通しているものの、西と東の違いは明らかで、
長崎は練りもの文化が強いせいか、かなり蒲鉾(かまぼこ)に近く、『カステラ蒲鉾』といわれるタイプのものが多いと言います。
おせち料理の縁起物になった理由は?
お正月の“おせち料理”といえば、伊達巻はお馴染みの食材ですが、実はおせち料理に入っている伊達巻にはそれなりの意味があることをご存じですか?
おせち料理は神様と一緒に食べるものとされており、従って、大量に卵を使う伊達巻は子孫繁栄の象徴とされています。
とくに卵の黄色には、「豊饒(ほうじょう)」という意味があり、これも子宝を連想させます。
さらに、卵の丸い形は家庭円満を表しています。
ふたつめには、伊達巻は学業成就につながると言います。
伊達巻は卵と魚のすり身を混ぜて焼いたものを簾(すだれ)を使って巻いており、
その形は巻物=書物であり、学問や知性を象徴します。
ですから、伊達巻に学業成就の願いを込めるようになりました。
おわりに
伊達政宗が伊達巻が大好物だったというのは驚きです。
でも彼の子孫は令和の現代でも健在ですから、伊達巻に込められた『子孫繁栄』は確かなんでしょうね!?
もっとも彼は正室、側室併せて7名の女性と交わったと言いますから、卵で精力を保ったんですかね?
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