朝夕が、まだまだ寒い日々が続いています。
松の内、小正月と過ぎて、すっかりいつもの日常が戻りつつあります。
ところで、皆さんは「晦日正月(みそかしょうがつ)」をご存知でしょうか?
「大晦日」と「お正月」を合体した新しい言葉?
いえ、そうではありません。
今回は、「晦日正月」がテーマです。
「晦日正月」とはどんなものなのでしょうか?
由来や歴史をみてみることにしましょう。
1・1月31日は晦日正月(みそかしょうがつ)」の日とは?
「晦日正月」とは、1月の最後の日となる31日(旧暦では30日)のことをいいます。
この日は、松の内までに年始のご挨拶ができなかったお家を訪問したり、
大晦日のように年越しそばを食べるなどのいろいろな風習が中部地方などを中心に各地で行われています。
1月15日の小正月が新年最初の満月の日であるのに対して、晦日正月は新月となりますので、月が隠れて見えない日にあたります。
昔からお正月の期間は、旧暦の1月をさしていました。
そのため、大正月、小正月、二十日正月、晦日正月と分けて呼ばれていました。
皆さんがご存知なのが、新年1月1日の大正月と1月15日の小正月。
二十日正月は、農作業などを休み、小正月に里帰りした人が帰る目安の日だったそうです。
そして晦日正月が過ぎると、「立春」がすぐにきます。
まだまだ寒い冬という晦日正月ですが、春の訪れを感じる節目だったともいえることでしょう。
2・晦日正月の由来は?
それでは、1月31日がなぜ「晦日正月」とよばれるようになったのでしょうか?
それは「晦日」という言葉に意味があります。
かつて「三十日」と書いて、みそかと読まれていました。
旧暦では一月が30日の場合が多かったのですが、今日の暦では30日、31日あるいは28日などの月もでてきました。
そこで、毎月末のことを「みそか」と呼ぶようになりました。
現在のみそかの文字は「晦日」となっていますが、この「晦(つごもり)」は月が隠れる日という意味があります。
晦日の日は月がみえない日であることから、「女郎に誠があれば、晦日に月が出る」ということわざができました。
意味としては、「女郎」というのは今でいう風俗のような仕事をされていた女性たちをいいます。
彼女たちの実家は貧しかったため、幼い頃あるいはある程度大きくなった頃に「女郎屋」と呼ばれる風俗の仕事をする施設に売られてきた人達です。
今でこそ人身売買は法律にふれますが、昔はそんなものはなく、貧しい家の女の子たちの中には売買の対象になった人もいたようです。
彼女たちは下働きから始まり、ある程度の年齢になると「女郎」として働くことになります。
女郎となった女性が、仕事として相手となった男性に愛情を交わすことはないと言われてきました。
そんな「女郎の愛情」と「晦日の月」はあり得ないという例えだったようです。
お正月期間の最後の日である晦日正月にちなんだことわざですが、他のお正月にまつわることわざもあります。
調べられると面白いかもしれませんね。
3・晦日正月の歴史は?
晦日正月の歴史は、平安時代からあったといわれているのですが、残念ながらその歴史などを示す、はっきりとわかる文献がありません。
それでは晦日正月とは、どんなものなのでしょうか?
現在も各地で伝統行事として残されているという晦日正月では、
その日にお餅をついて神様にお供するとともに、家族でお祝いする日とされてきました。
そして晦日正月では、松の内に年始挨拶に行けなかった親戚や知人の家を訪問するということが行われています。
地方によっては、くし刺しにされた「みそか団子」を玄関の前に飾るというという風習もあるそうです。
まとめ
いかがでしたでしょうか。
今回は、晦日正月の由来や歴史を中心にご紹介しました。
お住いの地域によっては、晦日正月はもちろん二十日正月さえ初めて知ったという方もいらっしゃることでしょう。
昔から日本人にとってお正月は特別な月でした。
「勤勉で働き者」といわれた日本人にとって、お正月の期間は家族などの人や日常使用している道具に労りと感謝をささげていた期間でもあったようです。
お正月という日本の伝統と思いやりの心を、私たちは後世まで伝えていきたいものですね。
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