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7月の雑学!7月12日豆腐の日の由来や江戸時代は豆腐は超高級品だった?

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豆腐といえば、お味噌汁の具あるいは、おかずとして湯豆腐や冷奴として食べてもおいしいし、

値段も激安から、味にこだわったとか言って超高級品まで広く普及しています。

豆腐はヘルシーな食事を心がける人達にとっては欠かせない食材。

そこで「豆腐の日」にちなんで、豆腐の色々についてご紹介します。

7月12日豆腐の日の由来は?

豆腐

日本豆腐協会が、平成5年(1993年)に制定したのが「豆腐の日」です。

日付の由来は、もちろん語呂合わせ。

豆腐=10(とう)+2(ふ)です。

という事で、10月2日が「豆腐の日」。

と同時に、毎月12日(12=10+2)も同じく「豆腐の日」としました。

したがって、毎月一度の「豆腐の日」があり、加えて

10月2日も「豆腐の日」ですから、一年に13回あります。

7月12日は2020年で七番目の記念日です。

この「豆腐の日」の目的は、日本を代表する伝統的な健康食品であり、栄養豊富な豆腐をPRする事ですから、何日あっても“ウエルカム!”ですよね。

豆腐の歴史は?

豆腐発祥の地は中国といわれています。 

西暦紀元前2世紀、前漢の准南王・劉安の創作であると、16世紀の中国の書『本草網目』には書かれていますが、定かではありません。

豆腐について書かれた文献は、唐の時代(618~907年)以降になるまで、何もないという事から、豆腐の起源は、唐代中期頃ではないかとされています。

 

日本への伝来は、古く奈良時代(710~784年)に、遣唐使の僧侶達によって伝えられたとされていますが、やはり、明確な記録はありません。

豆腐が記録として登場したのは、寿永2年(1183年)奈良春日大社の神主の日記に、

お供物として「春近唐符一種」の記載があるので、この「唐符」が最初の記録といわれています。

したがって、日本で豆腐が作られ始めてのは、奈良・平安時代からといえます。

 

当初は僧侶間で、その後、精進料理の普及により、貴族社会や武家社会に伝わり、室町時代(1393~1572年)には、全国的にもかなり浸透したようです。

本格的に庶民の食べ物として普及したのは、江戸時代中期以降になります。

木綿豆腐と絹ごし豆腐の 違いは?

木綿豆腐と絹ごし豆腐の違いは、実は作り方の違いによるものです。

⦁木綿豆腐・・・豆乳に凝固剤を加え、一度固めたものをくずしてから、圧力をかけて水分を絞り、その後再び固めて作ります。

この時、豆腐を流し込む箱型には木綿の布が敷いてあり、その模様がそのまま豆腐の表面に凹凸として、残っているからです。

⦁絹ごし豆腐・・・木綿豆腐よりも濃い豆乳に、凝固剤を加え、箱型に流し込み、そのまま固めてゆきます。

 

したがって、木綿の布で作るから「木綿豆腐」、絹の布で作るから「絹ごし豆腐」と言う訳ではありません。

江戸時代は豆腐は超高級品だった?

江戸時代の初期、農民たちは特別な日にしか、豆腐を食べることができませんでした。 

 

徳川家康・秀忠の時代には、“うどんやそば”とともに、豆腐の製造もおこなってはならず、農民はそれらを食べることも許されないという、『禁令』が出されています。

 

三代家光の時代に至っては、『慶安御触書』なる書物がだされ、そこには“豆腐はぜいたく品”として、農民が製造することをはっきり禁じています。

ところが、家光は朝食には豆腐の淡汁、いり豆腐などを、また昼の膳には色々な豆腐料理を食べていました。

 

江戸時代中期以降、ようやく庶民の食卓に豆腐を供することが許されたようです。

それでも、江戸、京都、大阪と言った大都市のみに限られていたのが実態です。

まとめ

豆腐は大豆をすりつぶし、豆乳にして、にがりを入れて凝固させ、つくります。

この時には大量の“おから”が出てきます。

つまり大豆のまま食べれば、10人の食い扶持でも、豆腐にすると半分程度でしょう。

おそらく、大量消費されては堪らんという江戸幕府の考えなんですかね?

現代の牛肉とトウモロコシの関係でしょうか?

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