正月も終わって2月に入りますが、2月1日は重ね正月・一夜正月の日になってます。
「重ね正月(または一夜正月)」?
皆さんは聞いたことがありますか?
お正月を重ねたり、一夜だけのお正月とは、どういうことでしょうか。
「重ね正月(一夜正月)」の由来や歴史をみてみることにしましょう。
1・2月1日は重ね正月・一夜正月の日とは?
2月1日は重ね正月または一夜正月と呼ばれていることをご存知でしょうか?
重ね正月もしくは一夜正月は、新年を迎えた際に「厄年」となる人々の年を一カ月で過ごさせようという風習で、各地で行われている行事です。
つまり、1月1日の新年を迎えて、1つ年を重ねて厄年となった人々に、お正月の期間である1月が終わった、
最初の2月1日を2回目の元日にすることで、再び年を重ねてもらい、厄年にもらいやすいとされる災難からやり過ごそうと考えられてきた風習です。
2・重ね正月・一夜正月の由来は?
災いが身にふりやすいといわれる年回りを「厄年」といいます。
その年のお正月に厄年となった人に、1月末日が過ぎた翌日の2月1日を2回目の正月とみなして年齢を重ねてもらおうという考えからでた風習が、
重ね正月または一夜正月といわれています。
この厄年といわれる考えの由来は定かでないと言われていますが、
平安時代にはすでに存在していたようで、根拠が不確かであるにもかかわらず根強く信じられてきた風習です。
厄年の「ヤク」のもともとの意味は、村などの共同体の中で重要な役割をこなせる年齢という「役(目)」のことだったようで、
特に神事に関わる担い手として求められる人には、身を慎むべきとされる習慣がありました。
現在では、身を慎む習慣というものだけが残ったといわれています。
一般に「本厄」といわれる年齢は、数え年では男性は25歳、42歳、61歳で、女性は19歳、33歳、37歳とされていました。
これは昔の平均寿命が40歳前後であったことから、そろそろ身体について注意すべきだという警告の意味があったという説があります。
現在では、家電の普及と医学の進歩により男性より女性のほうが平均寿命が高めとなっていますが、
昔は男性のほうが平均寿命に関しては高めだったので、厄年といわれる年齢にも男女の差があったようです。
3・重ね正月・一夜正月の歴史は?
重ね正月、一夜正月は、厄年となる年齢をやり過ごそうとされてきた風習です。
その歴史を「厄年」の起源からみてみることにしましょう。
厄年は、中国から生まれた陰陽道(おんみょうどう)が起源といわれています。
陰陽道は、古代中国の自然哲学思想と、宇宙の全てを陰と陽の2つの世界に、
更に5つの元素(火、水、金、土、木)で分かれているという陰陽五行説で構成された、太古からの東洋の考え方がもとだといわれています。
これら陰陽道の思想が、飛鳥時代(592~710年)に日本にはいってくると、暦学や天文学などの方法を用いて吉凶や禍福を占うという占術として発展していきました。
平安時代になると、陰陽師として陰陽道を広めたのが賀茂忠行(かも ただゆき)と賀茂保憲(かも やすのり)親子でした。
彼らの弟子であった、安倍晴明(あべのせいめい)らが、陰陽道をもとに日時や方位による吉凶を定め、同時に災いが起こりやすい年回りとなる厄年を示したのです。
陰陽道の考えは、明治時代の文明開化が進み。西洋文化を広く取り入れるまでは、日常生活に欠かせない知識とされてきました。
まとめ
いかがでしたでしょうか?
今回は重ね正月(もしくは一夜正月)の由来や歴史をみてきました。
地域によって、これらの風習を知らなかったという人もいらっしゃるかと思います。
昔の人々は、平均寿命が40歳前後ということもありましたが、これまでの経験と知識を伝道する役目の年長者が大事にされてきました。
自然や人の寿命にかかわる災難や疫病は現在でも解明できない分野が多々あります。
いたずらに不安がるのではなく、自然の摂理として受け入れながら、うまく災いをやり過ごそうとする、
先人の知恵と思いやりが重ね正月・一夜正月の風習を築いたのだといえることでしょう。
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