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1月の雑学!お年玉の由来や歴史は?お年玉袋をポチ袋というのはなぜ?

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お正月は老若男女を問わず、家族や親戚が集まってご馳走をいただきながら、

今年の抱負や健康を語り合いながら楽しく、ゆっくり過ごすことができる日本最古の祝いの日です。

子供たちにとっては、駒や羽子板、凧あげ、かるたなど、お正月特有の遊びができるので、想い出づくりにもっともよい時期だといえるでしょう。

なかでも、なによりも子供たちが楽しみにしているのが「お年玉」です。

お年玉は、なぜお年玉というのでしょうか?

お年玉の由来や歴史、お年玉袋をポチ袋というのはなぜ?
などをみてみることにしましょう。

お年玉の由来は?

お年玉

お正月に親や親戚からお年玉をもらったとき、そのお年玉を貯めてゲームなど欲しいものが買えたという喜びは、幼き日の楽しい思い出ですね。

ところで、もともとのお年玉のなかみが現在のように現金ではなかったのをご存知でしょうか?

お正月は我が家に、新しい年の年神様をお迎えすることで家内安全、五穀豊穣を願う行事です。

その願いを年神様がお聞きいれ頂き、私たちに魂を分けてくださることで、新しい年の幸福や恵みがいただけると考えられてきました。

この「魂」を象徴するものが餅玉です。

年神様は鏡餅を依り代とされていますが、餅玉にも年神様の魂が宿るとされていました。

年神様から授けられたとされる餅玉は、「お年玉」として渡し、それをお雑煮としていただくことで、1年のいきる気力や願い事が叶うと考えられていました。

元旦がくるたびに皆が一斉に年をとるという考えられた昔は、

誕生したばかりの新生児に1つの魂があるとして数え、元旦がくるたびに年を加えるという「数え年」で年齢をあらわしていたのです。

餅玉の玉の中に魂があるという意味が込められたのが、お年玉の由来です。

お年玉の歴史は?

お年玉の歴史は、お正月の歴史と同じく、かなり昔から行われていたようです。

お正月もお盆も、もともとはご先祖様をお迎えするという行事でしたが、

日本に仏教が伝来されたとされる5世紀頃に、お正月は年神様を祀る神事、お盆はご先祖様を迎える仏事にと目的や意味合いもわかれていきました。

お正月におむかえする年神様を門松やしめ縄を設置することで、迷わず我が家にお越し頂き、

年神様の依り代(神霊が宿る対象物)として鏡餅をそなえることで年神様に新年の五穀豊穣と家内安全を祈りました。

年神様の依り代とされた鏡餅のほかに、年神様の魂があるとされていたのが餅玉で、昔の人々は「御歳魂(おとしだま)」と呼んでいたそうです。

年があけると家長が「御歳魂」という餅玉を子供たちに分け与え、1年間の健康と幸福を祈りながら、

お雑煮に入れて食べることで年神様からの魂を頂戴したと考えられたのでした。

現在も、お雑煮にお餅が入っているのは、昔のお年玉の名残だといわれています。

江戸時代にはいると、お年玉はお餅と共にさまざまな物も贈られていました。

現在のお年玉のように現金となったのは、1960年代の高度経済成長期からだといわれています。

お年玉袋をポチ袋というのはなぜ?

ポチ袋のポチは、関西では「これっぽっちで少ないですが・・・。」という謙遜の意味あいも含まれています。

元は舞妓さんに渡したお小遣いのような「祝儀」や「心づけ」でした。

現在、祇園の舞妓さんといえば中学卒業ぐらいの年齢の女性からですが、

昔はもっと幼い少女が祇園に奉公という下働きから入り、舞などの芸事や行儀見習いを終えて舞妓になっていました。

現在でいえば、小学生高学年の11歳~12歳ぐらいだと考えて頂けたらよいでしょう。

(当時は現代人のように平均身長が高くありませんでしたので、もっと幼い印象であったと考えられます。)

それを物語るように、舞妓さんの衣装は現在も子供着物にみられる「肩上げ」「袖上げ」といったものがあり、

成長した女性でも将来に着られるようにされた工夫が名残としてのこされています。

秋田県では「痩せ馬」?

江戸時代の紀行家である菅江真澄の「小野のふるさと」によれば、旧暦の1月7日の七草粥の日に、

柳田(現在の秋田県湯沢市)という村では、子供たちが祝い言をいいながら物をもらいに来るという風習があったそうです。

子供たちが訪ねた家では、穴のあいた小銭を松の葉にとおしたものを「痩馬(やせまこ)」と称して、「この馬痩せて候」と言って渡していました。

「痩馬」には、「ほんの少し」という意味が含まれており、当時の子供たちの楽しみでもあったようです。

秋田県では、かつて痩馬はお年玉のようなものでした。

現在では、この地域でもふつうに「お年玉」と呼ばれています。

まとめ

いかがでしたでしょうか。

もともとのお年玉は、年神様の魂がこめられたとされる餅玉でした。

時代や地域により、お年玉のなかみは変化していきましたが、お正月の子供たちの楽しみの一つであることに違いはありません。

現在では、現金となったお年玉の使い途を子供たちに考えさせ、見守りながら子供の成長を楽しみにするという親心も含まれていることでしょう。

どんな時代になっても、お正月とお年玉という文化は日本人にとって大切な風習であるといえるでしょう。

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