6月と言えば、もうすぐ梅雨の季節ですね。
雨で思い出すのがこの歌、「あめあめふれふれかあさんが~、じゃのめでおむかえうれしいな~ピチピチチャプチャプランランラン♪」ですね。
歌詞の中では、お母さんがお迎えに来るとき使った傘は、「蛇の目傘」。
と言ってもなんだそれ?という方がほとんどでしょうね。
「蛇の目傘」や「番傘(ばんがさ)」はいわゆる、『和傘(わがさ)』。
着物姿の女性に「蛇の目傘」なんて、まさに「粋(いき)」だね~の世界ですが、現代の若者にそれを言っても?????で終わりなんでしょうね。
ところで、6月11日は「傘の日」です。
現代では「傘」と言えば「洋傘」?「ビニール傘」?「折り畳み傘」?どれでしょうか。
でも、昭和の時代には「傘」と言えば、「こうもり傘」です。
一般に、洋傘のことを「こうもり傘」と言っていました。
もう、死語なんでしょうか。
今回はこの「こうもり傘」について、その意味や歴史についてお話ししたいと思います。
こうもり傘の意味は?
日本で発達した“紙張りの傘”が「和傘(わがさ)」と呼ばれるのに対し、“布地を張った傘”は西洋より伝来したことから、「洋傘(ようがさ)」といわれる。
これをなぜ「こうもり傘」というのかですが、嘉永7年(安政元年)の『彼理(ペリー)提督来朝図絵』という書物の中に、
「傘を開いた形と、たたんだ形の二つの図絵とともに、雨傘、鯨骨にて八本導き、絹を張り、端(はじ)を差し込んだるものと覚ゆ。
色黒くして蝙蝠(こうもり)の如く見ゆ」、との説明書きがあります。
これが、「こうもり傘」の語源のようです。
こうもり傘の歴史は?
ヨーロッパにおいては、天蓋(てんがい)から傘は発達したようです。
永らく傘は贅沢品であり、富と権力の象徴でした。
その後、今日のような開閉式の傘は13世紀にイタリアでつくられたと言われています。
傘の軸から延びる親骨には鯨の骨や木を使っていたようです。
一般に、これらの傘は日傘として使われていました。
フランスへは1533年にフィレンツェのメヂィチ家のカトリーヌがアンリ王子に嫁いだときに、伝えられたと言われています。
以後フランス国内に急速に普及して行きました。
その理由は、17世紀のフランスでは、町中で2階から投げ捨てられる汚物(糞・尿)を避けるためには、傘は必需品でした。
もともと日本には「和傘(わがさ)」がありました。
ところが、1853年にペリーが浦賀に来航。
翌年、再びペリーが浦賀に来航した際、一緒に上陸した水兵の上官3~4人が傘をさしていました。
ところが、やじ馬がたくさん集まっていたことで、洋傘は多くの日本人の目に初めて触れることになりました。
そして、文明開化後、1890年に国産化に成功したことで、高価な輸入品から安価な国産品への切り替えが進み、庶民にも洋傘(こうもり傘)が普及して行きました。
折りたたみ傘もこうもり傘?
なかなか難しい質問ですね。
元々は和傘との違いをつけるために、洋傘をこうもり傘といったわけですから、折りたたみ傘もこうもり傘です
という人もいれば、いやそうではない!
折りたたみ傘はこうもり傘とは言いませんと言う人もいます。
どうもはっきりこうだという正解は無いようです。
コウモリ傘は死語?
「死語」とは『説明しなければみんなに伝わらない言葉』です。
こうもり傘はもはや「死語」になりつつありますね。
「匙(さじ)」=スプーン、
「衣紋掛け(えもんかけ)」=ハンガー、
「とっくり」=タートルネックなどなど。
なにか寂しい気がしますね。
まとめ
調べてみて、面白かったのは、フランスでは「傘」とは2階から降ってく来る『糞・尿』よけの必需品だったということ。
そういえば、ベルサイユ宮殿には『トイレ』は一か所も無く、皆森の中で用を済ませたと言いますから、庶民の住む住居には、当然、トイレはないですよね!!
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