「さるかに合戦」はよく知られた童話で、このお話の中にも栗は出てきます。
そして栗と言えば秋。
秋と言えば、栗の旬の季節です。
旬の栗と、御飯を一緒に混ぜて炊いた秋の味覚「栗ご飯」おもわず、生つば、ごっくんです?
日本での栗の歴史は古いようで、今回はそんな「栗」にまつわるお話を、ご紹介します。
栗の季節で歴史は古い?
日本での栗の歴史はかなり古く、稲作文化が伝わってくる以前、つまりは縄文時代の人達にとって、栗は主食だったようです。
縄文時代の遺跡の中から、炭化した栗が発見されたのがきっかけで、野生の栗を採取していたと見られていました。
ところが、青森県の三内丸山遺跡では、栗が大量に発見され、それらの痕跡から栗を栽培していたとみられる事が、分かりました。
また、「日本書紀」には、持統天皇の時代(7世紀頃)には、国家が栗の栽培をしていたとみられます。
平安時代の法典「延喜式」には、栗をしっかりと乾燥させて、臼(うす)で搗き(つき)、
殻と渋皮をしっかり取り去った、保存食ともいえる『搗栗(かちぐり)』についての記載があるほどです。
本格的に栗の栽培が始まったのは、京都の丹波地方で、平安時代初期に、栗の接木(つぎき)の技術が伝わり、
この地に広まって行き、大粒の栗が栽培されるようになっていきました。 以来、日本各地で本格的な栗栽培が行われて行きました。
かち栗の由来は?
戦国時代の武将は、何か大きなことを始めるにあたって、成功や勝利を祈る儀式を行いました。
もともとは、平安時代の頃に始まった、戦に出陣する時の儀式に「出陣式」という儀式があります。
出陣の為に、鎧甲冑という戦支度(いくさじたく)をした、武将たちは『打ち、勝ち、喜ぶ』を願って、
『打ちアワビ』・『搗栗(かちぐり)』・『昆布』を食べて、景気づけに、酒を飲んで出陣したと言われています。
『打ちアワビ』とは、アワビの肉を細く切り、打ち延ばしてから干したもの。
『搗栗(かちぐり)』とは栗の実を乾燥させて、殻と渋皮を取り除いたものです。
■『搗栗(かちぐり)』の作り方と食べ方の一例
1)栗は生のまま、皮ごと天日で干します。
2)二日に一度、それを火を使ってから炒りします。
3)1)と2)を繰り返し、栗を振ったときに、カラカラと音がするようになったら中身が乾燥した証拠です。
4)干し終わったら、外側の鬼皮(殻)と内側の渋皮の両方を取り除き、瓶や缶などに入れて保存します。
5)食べる時ですが、このままでは硬いので、一晩水に浸けた後、砂糖と塩少々で焚き詰めます。 煮た搗栗(かちぐり)を潰せば、栗餡(くりあん)になります。
栗の西と木の組み合わせの意味は?
「栗」はブナ科の落葉高木で、実は食用となり、木材は強くて、家屋の土台や鉄道の枕木などの使われるほど有用な樹木です。
ところで、「栗」と言う字は、なぜ「西」に「木」と書くのかと言うことです。
答えは「栗」の「西」は「にし」ではありません。
栗の実がはじけて“ザル”のようは形になった「イガ」を意味します。
ですから「栗」の象形文字を見ると、“ザル”のような形をした「イガ」が其のまま木に残っている様子を表しています。
この象形文字から「栗」と言う漢字ができました。
まとめ
意外なことに、有名な茶人、千利休は、お茶会のときにお茶菓子として、栗をよく使っていたそうです。
栗のほくほくとした食感と甘味が好まれたようです。
縄文時代には主食として、戦国時代は『搗栗』として縁起物。 現代でも「栗ご飯」は最高です。
日本人は稲作伝来以前から食べていたと言いますから、我々のDNAにはこの栗とは切っても切れない何かがあるんでしょうか?
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