10月26日は「柿の日」ということをご存知でしょうか?
これは全国果樹研究連合会カキ部会が、一般社団法人・日本記念日協会に申請し、認定・登録されたことをうけて、2005年(平成17年)に制定されました。
10月26日が柿の日となった理由としてあげられているのが、全国的に栽培されている柿の平均的な旬の時期だからといわれていますが、
他にも理由がありそうですね、正岡子規も好物だった?など調べてみることにしましょう。
10月26日は柿の日の由来は?
柿の記念日が10月26日に制定された有力な説としては、明治時代の俳人・正岡子規(まさおか しき・1867年~1902年)から由来したものだといわれています。
正岡子規は柿が大好物だったようで、柿の句を多く書きのこしていました。
なかでも有名なのが、「柿くえば鐘が鳴るなり法隆寺」の句です。
1895年(明治25年)10月26日に奈良県にある法隆寺の近くの茶店で柿を食べていると、
お寺(法隆寺)の鐘が聞こえて、秋を感じたという意味の俳句を書いています。
この句が、10月26日が「柿の日」となる有力な説のようです。
柿の原産地はどこ?
柿の木は、カキノキ科カキ属の一種である落葉樹で、東南アジア原産の固有種です。
中国・長江に多く自生している柿の木が日本に伝来したといわれています。
それでは、柿の木はいつ日本に伝来したのでしょうか?
その答えは、現在もわからないということです。
しかし、柿の種が化石で見つかり、縄文時代や弥生時代の遺跡からも発見されていますので、かなり古くから日本に柿の木があったといえます。
中国はもちろん、日本や韓国にも多くの在来品種が存在している柿の木は、ほとんど渋柿だったということをご存知でしょうか?
1214年、鎌倉時代に現在の神奈川県川崎市周辺で突然変異と思われる甘柿が発見されました。
これが、甘柿では世界最古の品種となる「禅師丸」です。
南北朝から室町時代に書かれた「庭訓往来」では、すでに柿の木の栽培が始まっており、柿の産地として大和、近江、美濃の名が記されていました。
正岡子規も好物だった?
俳人の正岡子規は、かなりの柿好きだったようで、「柿」や「奈良」の言葉がはいった句をいくつか残しています。
1895年(明治25年)10月26日、奈良県は雨だったそうです。
しかも、正岡子規はすでに病気となっていました。
病床についていた子規が、柿や奈良の町を思い出して句を詠んだのではないかという説もあります。
7年後の1902年9月19日、自身を「柿くいの俳句好き」と評した正岡子規は、結核により7年間の闘病後、東京の根岸の地で永眠しています。
享年34歳でした。
柿が赤くなると医者が青くなる?
柿は、奈良時代にはすでに流通していました。
平安時代では、宮廷の中でも祭事用の菓子として柿が栽培されていたという記録があります。
当時は、甘いものがほとんどありません。
渋柿でも当時の人の知恵で、甘味を感じる貴重な冬の食物として干し柿や熟柿として利用されてきました。
「柿が赤くなると医者が青くなる」という、ことわざがあります。
柿が熟して赤くなる頃には、気候もよくなり、栄養豊富な果物や作物がとれるようになると病人が減ってしまい、医者が困るという意味です。
昔の人たちも夏の陽射しによる食欲の減退、食中毒の心配も多かった季節から、柿などの栄養豊富な作物や果物を摂取することで体調の快復がはかれたことでしょう。
まとめ
いかがでしたでしょうか?
柿の中でも甘柿の品種は、日本原産の固有であることがわかって頂けたでしょうか。
「桃栗三年柿八年」ということわざがありますが、これは物事を成し遂げるためには、それなりの歳月と努力が必要だというたとえです。
「柿」が実るまでに8年もかかるというたとえは、日本人の辛抱強さをあらわした言葉でもあります。
鎌倉時代に発見された甘柿は、1789年にはポルトガル人により日本からヨーロッパへと渡りました。
1870年、柿が北アメリカに伝わったことにより、柿の学名がディオスピロス・カキ(Diospyros/kaki)と名付けられました。
このように日本語読みの「カキ」がそのまま名付けられたのは珍しいことだといわれています。
英語圏やそれ以外の国でも柿は、カキ・フルーツの名前でとおっています。
今では温暖な地域なら、甘柿は世界中で栽培されるようになりました。
柿は、日本の国果として指定されており日本人にとって最も親しまれている果物です。
柿はビタミンやミネラルが豊富な果実として、世界中の人々に愛されている果物だといってよいでしょう。
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