世の東西を問わず、歴史上には痔に苦しめられた有名人がいました。
江戸時代の日本で苦しんだ有名人たちもおりました松尾芭蕉、加藤清正、大岡忠相(遠山の金さん)、杉田玄白など。
現代の日本ではなんと3人に1人が、痔の持ち主と言われています。
そこで、江戸時代の日本で、痔の痛みに苦しめられていたのは?松尾芭蕉、加藤清正、大岡忠相(遠山の金さん)、杉田玄白など調べて見ました。
●松尾芭蕉
俳句の世界において不世出の人物の松尾芭蕉です、松尾芭蕉が、東北・北陸・近畿地方を160日間かけて歩き、書き残した「奥の細道」。
松尾芭蕉は「持病が起こり、死にそうな思いをした」と記されています。
松尾芭蕉の痔は「切れ痔」だった。
「切れ痔」であった松尾芭蕉は、奥の細道を旅していた間も常に痔の出血に苦しみ続けていた、
持病さへおこりて、消入計(きえいるばかり)になん。」(「奥の細道」より)
(持病まで起こって、苦しみのあまり気を失いそうになった。)
この時代には痔の薬として主に使われていたのは「アカメガシワ」
花が案外
可愛いです❁*.゚#アカメガシワ pic.twitter.com/cNTEMTuI0r— (@nekomarukoharu) June 6, 2021
という植物の花から作ったもので、アカメガシワには、「ペルゲニン」という炎症を抑える成分が含まれています。
その花を蒸し焼きにしてすり下ろし、患部に塗るすると痔の腫れや痛みが治まったそうです。
●加藤清正
加藤清正は豊臣秀吉の子飼いの猛将(もうしょう)として知られ、熊本城の築城者として
加藤清正は虎退治で有名ですが、この猛将にも退治できなかったようです。
加藤清正の痔は「いぼ痔」だった。
一度トイレに入るとなかなか出られず、ときには1時間におよんだそうで、
トイレから指示を出していたそうだったが、
加藤清正は、徳川家康よりも二十歳下だが、四十九歳の若さで、家康よりも先に死んだ。
加藤清正の突然の死に、毒殺などの噂があるが、いぼ痔持ちの長雪隠で、貧血から生じた狭心症による突然死の方が可能性が高いと言われている。
●大岡忠相(おおおか・ただすけ)
テレビドラマで時代劇でお馴染みの大岡越前守(大岡忠相)名裁きで人気がありました。
大岡忠相が書いた「大岡越前守忠相日記」に痔で悩んだことの記載があります。
日記には元文2年(1737年)から約14年間にわたって書かれたもので、
この中に、寛保3年(1743年)1月15日から17日までの3日間に痔で悩んだことが書かれています。
「痔血走り、今日まかり出ず在宅」と書かれていおり、1月15日の朝には肛門の激痛で目が覚め、さらに出血もしていと書かれている。
大岡忠相の痔は「内痔核」だった。
大岡忠相が活躍していたころの治療は、やはり「灸(きゅう)」が主体で、根治的な治療ではなかったので、
苦しかったようです。
もう少しあとの時代で、手術によって内痔核がすっきり治っていれば、「大岡裁き」はさらに鋭いものになっていたかもしれません。
●杉田 玄白
江戸時代の最高の医学者の一人であった杉田玄白は70歳を過ぎても毎日歩いて往診に回わっていた、その玄白にも悩みがあったのです。
「…いかなるか下の二穴(にけつ)のうるさくつらきことは、挙(あげ)て数へがたく…」
玄白は老人にありがちな秘結(ひけつ:便秘)で、便毎に脱肛をおこし、“元に納めて後、
始めて我身の様に覚ゆる事なり”と、その苦痛を切々と「耄耋独語」に残しています。
杉田 玄白の痔は「脱肛」だった。
晩年は便秘、脱肛に悩みましたが、当時としては長寿である85歳の生涯を全うしました。
杉田 玄白の脱肛は老人性のものか痔によるものかはっきりしていません。
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