6月16日は和菓子の日です。
和菓子とは、日本の伝統的な菓子のことをいい餅菓子、羊羹、饅頭、最中、落雁、煎餅などです。
ただ他にも、遣唐使がもたらした「唐菓子」。
近世、スペイン、ポルトガル、オランダなどからもたらされ日本で独自の発達を遂げた「南蛮菓子」なども和菓子といえます。
日本独自の和菓子は、歴史と伝統に育まれている「日本の文化」の一つでもあります。
今回は、こういった日本の文化にもつながる、和菓子の世界についてご紹介したいと思います。
和菓子の歴史は?
『古事記』・『日本書紀』には果子(=果物(くだもの))は、菓子の最初のものであると記されています。
推古天皇のころ西暦600年代より、中国に派遣された遣隋使が中国との交流を始めたことで、いわゆる「和菓子」の原型は整えられてゆきました。
文武天皇の治世704年に遣唐使により、唐から「唐果物(からくだもの)」8種と、果餅14種の『唐菓子』が日本にもたらされました。
奈良時代の754年には、鑑真和上が砂糖と蜂蜜を、平安初期の806年には空海が煎餅の製法を伝えています。
鎌倉時代になると宋から茶苗を持ち帰った栄西によって、喫茶文化が広まり点心のひとつとしての菓子作りが発展して行きます。
同じころ宋から日本の奈良の村に定住した僧侶の「林浄因」は日本で最初の「奈良饅頭」を売り出しました。
ただし、当時の日本には肉食の習慣がなかったので、オリジナルの饅頭には羊や豚の肉が「餡(あん)」として使われていたのを、豆類の餡に変えたものを考案。
これが全国に波及していきました。
また、鎌倉時代から室町時代にもたらされた「羊羹(ようかん)」も、もともとは文字どうり羊の肉だったものを小豆を使用したものに改良し、現代につながっています。
江戸時代には鎖国制度によって、菓子の発展は停滞したが、その一方で砂糖の輸入が拡大、
製菓技術も発展し武士や庶民に好まれる江戸菓子、京都のみやびな京菓子へと進化。
更に参勤交代制度により道路が整備され、人や情報の往来が加速、各地の銘菓、
名物菓子が作られるようになり、江戸後期には現代の和菓子のほとんどが形作られました。
6月16日和菓子の日の由来は?
平安中期「の永和年間、国内に疫病が蔓延。
仁明天皇は年号を「嘉祥」に改元、その元年の6月16日に16個の菓子を神前に供え、厄除けと招福を祈ったとされます。
以来、6月16日には厄除けと招福を願い菓子を食べる風習が「嘉祥の日」として江戸時代まで続きました。
昭和54年(1979年)、全国和菓子協会が、風習の復活と、和菓子の素晴らしさを楽しむことを後世に伝えるべく設定されました。
別名「嘉祥(かじょう)菓子」とは?
「嘉祥の日」6月16日に菓子を16種類食べると、厄除け招福に良いとされる、その菓子を「嘉祥菓子」といいます。
尚現代では、嘉祥菓子は一般には手に入りませんが、和菓子メーカーの『虎屋』が、古い記録を基に再現しました。
毎年6月10日~16日にのみ、販売されるそうです。
虎屋 嘉祥菓子
季節を感じる和菓子は?
和菓子は季節にあわせて種類が変わる、非常に趣(おもむき)深いお菓子です。
□春の和菓子:桜餅、よもぎ餅、かしわ餅など。 春の新葉を使う菓子です。
□夏の和菓子:ところてんや水ようかん、葛まんじゅうなど。「涼」のものです。
□秋の和菓子:かぼちゃの「きんつば」、サツマイモの「鬼饅頭」など。食材の甘味を楽しむ。
□冬の和菓子:白いツクネイモを使った「じょうよ饅頭」など。
春夏秋冬、それぞれで見た目や食材に変化があります。 まさに和菓子の本領発揮です。
まとめ
洋菓子といえば、ショートケーキ、ミルフィーユ、モンブラン等々、たしかに見かけは変わっていますが、菓子の食材は全く同じ。
せいぜい飾りに使う果物が変わるくらい!
なんとはなく薄っぺらな感じというのは言い過ぎでしょうか?
古事記にまでつながる和菓子には日本文化が息づいています。
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