7月22日は下駄の日です。
では、なぜ7月22日が下駄の日となったのでしょうか。
実は11月11日を下駄の日としている地域もあるようです。
ここでは、由来や歴史など下駄の日にまつわる雑学をご紹介していきますのでぜひご覧ください!
7月22日下駄の日の由来は?
画像:https://www.amazon.co.jp/%E6%A1%90%E4%B8%8B%E9%A7%…
下駄との語呂合わせでもなさそうな7月22日が、どうして下駄の日に制定されたのでしょうか?
それは7と22という数字によって決められました。
「7」という数字は、下駄の寸法を表すときに「七寸七分」といったように、7が非常によく使われており、非常に下駄とゆかりのある数字。
かつて、下駄のサイズは男性もの
は七寸七分、女性物は七寸二分と決まっていたそうです。
尚、七寸七分とは、おおよそ23センチのMサイズ。
今の女性の足の大きさが、当時の男性の平均的なサイズだったのかと思いきや、和装履物というものは、
かかとが少しはみ出るくらいが歩きやすく、シルエットもきれいに見えるそうです。
そして続いては「22」という数字ですが、これは下駄の歯型。
下駄で歩いたときに、足跡が漢数字の”二”に見えることから、両足で「22」にしたそうです。
このことから7月22日が下駄の日になったといわれています。
下駄の日の歴史は?
7月22日の下駄の日は、下駄の三大産地である大分の日田木製履物連合会が提案し、1991年に全国木製はきもの業組合連合会によって制定されました。
下駄の日として制定されたのは、今から約30年ほど前。
でも、下駄を22(二二)と連想させる句が、江戸時代初期の歌人である田捨女(でんすてじょ)によって詠まれていたのです。
その句とは「雪の朝 二の字二の字の 下駄のあと」です。
これは、雪の日の朝に表に出てみると、下駄の後が二の字、二の字の形にくっきりと残っている、という意味。
江戸の頃から、下駄を22と見立ていたことがうかがえる名句ですね。
ちなみにこの句は、田捨女が6歳の時に作られたそうです。
雪の日の風景が目に浮かぶ非常に美しい句ですよね。
11月11日とどっちなの?
実は、静岡の伊豆の国市では7月22日ではなく、なんと11月11日を下駄の日として下駄の供養祭を行っていました。
では、なぜ11月11日にしたのかというと、こちらの下駄の日も由来は、田捨女のあの名句だそうです。
ただし、二の字二の字を22ではなく、”二”を90度回転させて”11”と読ませたそうです。
この下駄供養祭は、温泉街を訪れた観光客が履いていた下駄に感謝の念を捧げ、商売繁盛や無病息災を祈願する行事です。
ちなみに、新潟県新発田市の月岡温泉や、長野県の戸倉山温泉でも下駄供養祭が行われているようです。
下駄占いが当たるのはナゼ?
あしたてんきになぁれ、という掛け声とともに下駄を飛ばす、日本で古くから親しまれている下駄占い。
誰しも1度は靴を飛ばして占ったことがあるのではないでしょうか。
下駄占いでは、鼻緒側が出たら晴れ、裏の歯側が出たら雨というルールでお天気を占う方法ですが、
湿度が上がると鼻緒が湿気で重くなるために裏返るという説もありますが、科学的な根拠はありません。
それなのに、どうしてこのような占いがあったのでしょうか。
諸説あるものの「あした天気になぁれ」の掛け声の”あした”の部分が、天気の悪いときに履いていた高下駄の”あしだ”からきていると言われています。
つまり、この占いをするときは天気が良くないことが多かったのではないでしょうか。
明日はお天気になりますように・・・という願いを込めて、下駄占いをしていたのかもしれないですね。
まとめ
いかがでしたか?
単なる語呂合わせではなく、非常に趣のある由来によって制定された下駄の日。
7月22日は、美しい描写が込められた記念日だったのですね。
今年の夏祭りには、浴衣に下駄を合わせてみてはいかがでしょうか!
コメント