7月7日は乾麺・そうめんの日だそうです。
七夕にそうめんを食べるという風習が地域によってはあることから、それは納得できます。
ところで、そうめんと言えば「揖保乃糸」と「三輪素麺」。
両方のホームページを見てみると三輪素麺は旧来の素麺の食べ方の究極を目指し、「揖保乃糸」はそうめんの料理法の拡大を目指すという両極端を進んでいました。
1000年近い歴史を持つそうめん。
ここでは、7月7日そうめんの日の由来や冷麦との違いと言った内容のお話や、恋そうめんとは?と言った新しい流れについてもご紹介したいと思います。
7月7日乾麺の日・そうめんの日の由来は?
麺というものが日本で食べられていたことを示す最も古い記録は奈良時代のものです。
それは、小麦粉を塩水で練って手で伸ばして作った、中国唐代由来の「索餅(さくへい)」です。
この「索餅」が日本では、「牟岐縄(むぎなわ)とか麦縄(むぎなわ)」と呼ばれ、その進化したものが「そうめん(素麺)」にあたるそうです。
中国では七夕の日にこの索餅を食べ、家族の健康、無病息災を願ったとのことで、
平安時代になると「七夕に“そうめん”を食べると大病にかからない」と「延喜式」:平安時代の書物には書かれており、
7月7日に宮中では“そうめん”を食べていた風習が、庶民に普及したといわれています。
恋そうめんもある?
恋を結ぶ、ハート型パッケージの「恋そうめん」。
パッケージには、運命の赤い糸をイメージし伸ばした、紅白のおそうめんをひとつひとつ丁寧にハートの形に結びました。
箱の中には、赤く染まった一本のそうめんが他の白いそうめんの中に混ざっています。
そして、全体を「のの字形」に巻いてあります。
付属で麺つゆの袋が入っています。
パッケージの裏には「おいしいゆで方」が書いてあり、まさにいたれりつくせりです。 で、この「恋そうめん」はどこの製品なのかです。
奈良県桜井市にある『三輪素麺山本』でした。
最初に触れたように、三輪素麺は“そうめん”の食べ方の究極を目指しているようですが、伝統にばかり縛られていてはならない。
まずは基本の茹で方あってこそ! 若者の心をとらえつつ、そうめんの旨さを知らしめる! 素晴らしい発想だと、思わず感動してしまいました。
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そうめんと冷麦の違いは?
小麦粉を塩水で練って“生地”を作るまでは、そうめんもひやむぎも変わりません。
ただし、ここから先が大きく異なります。
この生地に、油を塗りながら、手を使って細く伸ばす麺が“そうめん”。 ですから、手延べそうめんと言う訳です。
一方のひやむぎ。
これは、平らな板と麺棒を使って生地を薄く延ばし、刃物で細く切る麺が“ひやむぎ”であり、“うどん”なのです。
ちなみに、うどんもひやむぎも製法は同じですから、何処からがうどんで、何処からがひやむぎというかと言えば、
麺の直径が1.7㎜未満を“ひやむぎ”、1.7㎜以上を“うどん”というそうです。
七夕の日に食べるそうめんは「鬼の腸(はらわた)」とは?
中国の伝説で、とある皇帝の息子が7月7日に亡くなり、その子が鬼神となって町中に疫病を流行らせました。
そこで、皇帝は生前にその子の好物だった「索餅」を供え、御霊を鎮めたところ疫病は退散し、平穏をとりもどせた。
そこで、7月7日に食べる“そうめん”を、この中国の故事にちなんで“鬼の腸(おにのはらわた)”というそうです。
まとめ
「七夕」は、織姫と彦星の年に一度の逢瀬を祝う五節句の一つであり、それが7月7日。
一方の“鬼の腸(はらわた)”に由来する“そうめん”はその故事の元となった子供の命日が7月7日。
それがともに日本に伝来すると、あっ!という間に合体。 ミラクルジャパンです?!
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