10月も下旬になって来ると、段々あたたかな煮込み料理が欲しくなってきます。
こんな時、「おでん」は最高の御馳走です。
おでんといえば熱燗でしょ!も決まり文句だし、御飯のお供としても、楽しむことができます。
今回は、こんな「おでん」の歴史や、おでん用ちくわの模様が違う理由は?関東と関西違いや、
それにまつわる諸々の疑問について調べた事柄をご紹介します。
おでんの歴史は?
「おでん」のルーツは、奈良・平安時代の、拍子木型に切った豆腐に竹串を打って焼いた「田楽」で、語源はこの「田楽」の女房言葉と言われています。
「田楽」とは元来、豊穣祈願の楽舞ですが、奈良・平安時代には日本でも豆腐が作られるようになり、
宝暦年間の川柳には「田楽は昔は目で見、今は喰い」とあり、「見る田楽」が「食べる田楽」になったことを表しています。
室町・安土桃山時代には、拍子木型に切った豆腐に竹串を打って焼き、辛みそを付けた「田楽」が広まって行きます。
その一方、江戸時代に入って来ると、上方(大阪)では、こんにゃくを串にさし、みそを付けた「こんにゃく田楽」が供されます。
“浪速の風”には「この地にても、こんにゃくの田楽を押並べて、おでんという」と記載があります。
いわゆる現在の「煮込みおでん」の登場は、江戸時代後期に近郊の銚子や野田で醤油の醸造が盛んになり、
汁気は少ないものの醤油味の「煮込みおでん」が生まれたという説があります。
明治・大正時代に入ると、東京で汁気の多い「おでん」に進化しました。
昭和の初期から昭和20年代後半までは、「おでん」は、屋台・専門店・駄菓子屋などで、
食べるもので家庭内にはあまり普及していませんでしたが、戦後“練り製品”が市場で販売され、
さらには“おでんの汁の素」のような商品が発売され、簡便性が増し、以後、家庭内にも普及していきました。
おでん用ちくわの模様が違う理由は?
胡瓜などを挿入して食べることの多い「普通のちくわ(生ちくわ)」と、
おでんに入れて食べられる「おでん用ちくわ(焼ちくわ)」の模様が違うのは、その製造工程に有ります。
「生ちくわ」は約200℃で、じっくり時間をかけて焼いて作られます。
じっくり炙る(あぶる)ことで表面に皮を付け、その皮を焼くことで、独特の焼き色と食感を付けています。
一方の「焼ちくわ」は、表面に斑点状に油をつけて、一気に焼き上げます。
すると、油を付けた部分が一時的に膨れ上がります。
焼けて膨らんだ部分は茶色に、そうでないところは白のままとなります。
その結果斑点模様の「焼ちくわ」となります。
おでん関西では「関東煮(かんとだき)」?
関西では、「おでん」というよりは「関東煮(かんとうだき)」という呼び名が一般的です。
具材の温めと、味付が別々で手間のかかる「みそ田楽」に比べ、「おでん」は煮込むだけで済む。
屋台で手軽に食べられる軽食として「おでん」はまず、関東で広まり、それが関西にも伝わりました。
その際、関西では「みそ田楽」をおでんと言う風習があったので、それと区別するため「関東煮(かんとうだき)」と名付けたと考えられます。
関東と関西のおでんの味や具材の違いは?
関東と関西の「おでん」の違いは色々ありますが、まづは味付です。
関東は濃い口醤油によるやや塩辛い味付け。
関西では、薄口醤油がベースで、少し甘め。
具材も、関西では、鯨食が盛んな土地柄もあり、鯨の舌「さえずり」や皮の「コロ」をおでんに使います。
さらに、牛筋やタコも「関東煮(かんとうだき)」の主役です。
出汁にサッとくぐらせて食べるワカメや春菊などの食材もあります。
逆に関東ではよく見られる「ちくわぶ」や「はんぺん」はあまり見られません。
まとめ
「おでん」というと直ぐ、関東風、関西風と言いますが、どうしてどうして、日本全国地域性の強い「おでん」は沢山あります。
黒はんぺんの静岡、じゃこ天の四国地方、馬の筋肉の九州など様々。
沖縄に至っては「テビチ(=豚足)」をじっくり煮込むとか。
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